カンボジア ともに生きた3年間

2021年10月18日 カテゴリー:カンボジア

三年間でのカンボジアでの活動を通じて様々なことを経験しました。

最初は何がどうなっているのかわかりませんでした。

文化の違いに戸惑うことも多々ありました。

言葉には苦労したので何を言っているのかわからず、伝えたいことが伝わらすやきもきもしました。

大変な思いをしているとみんな優しく見守ってくれました。

それでもぶつかり合うことは何度もあります。

一年半後にやっとできた一時帰国の二週間はただただ楽しかったです。

そこからまた一年半。

後半は辛いことの方が多かったですが、途中で帰りたいと思ったことはありませんでした。

辛い中にも魅力を感じていましたが、当時はそれが何かわかっていませんでした。

帰国してから8年が経った今だからこそ当時の想いを整理して考えることができました。

 

最後に彼らと共に生きた3年間でこれが大切だったな~と思ったことを紹介していきます。

 

知る➡わかる

 

これを見てくださってる皆さんはいろんなカンボジアのことを知れたと思います。

しかし知ること以上に大切なのはわかることでした。

今回、写真などでいろんなことを紹介しましたが、写真には映りきらない事は沢山あります。

そのことをひとつひとつ経験していくことで彼らのことが少しづつわかってくるようになるのです。

そして、自分自身がカンボジアに行ってどのように感じるかは行ってみないとわかりません。

今まで経験したことのないようなことが起こると、自分自身にこんな一面があったのかとわかるようになります。

現地の彼らだけではなく自分自身のこともわかるようになることが大切だと思いました。

 

行く➡寄り添う

 

カンボジアに行くだけではなく、彼らにどれだけ寄り添そえるかが大切だと感じました。

最初はそばにいることから始まります。

そこから少しづつ体験を共にすることで受け入れてくれるし受け入れられるようになります。

文化などの違いでわかりあえることはこんなに難しいのかと思うこともありますが、それでも離れずにどれだけ相手の立場に寄り添えるかが大切でした。

実際にはいろんな感情が湧いてくるので言葉でいう以上に大変なことでした。

それでも何気ない小さなことで培っていくしかありません。

その塵が積もって山となることが魅力のひとつでもありました。

 

分け合う➡分かち合う

 

これはなかなかイメージしにくいと思います。

例えるなら、寒い時に1枚の毛布があるとします。

その毛布を2つに裂いて私とあなたで分け合うのか、

その毛布に私とあなた一緒にくるまってこの毛布を分かち合うのか。

このような違いです。

ひとつの毛布を分け合うと毛布は半分になりますが、ひとつの毛布を分かち合うと毛布の価値は何倍にもなります。

 

よく「カンボジアは貧しいけど心は豊かだよ~」といったことをいう人がいます。

それはカンボジアの人達がいろんなものを分かち合って生きているからではないかと思います。

僕も3年間でいろんなことや物を分かち合ってきました。

ごはんを食べたりいろんな行事を協力してやったり、そこに最大の魅力があったと思います。

 

物を分け合うのではなく感情を分かち合う。

 

こんな3年間をカンボジアで過ごせたことは貴重な体験でした。

 

現在はこの思いを胸に日本で少しでも還元していけたらと思っています。

 

 

 

整体院とは関係ないことを長々と書きましたが、これもカンボジアでの体験を分かち合いたい気持ちから始めました。

 

これを読んでいただいて様々な感想があると思います。

言葉にできないような感情もあるとはおもいます。

 

ぜひその感情を分かち合わせてください。

それは僕にとって嬉しいことですし、カンボジアでの体験の価値が膨らんでいくからです。

 

ということでカンボジアでのお話は終わりにします。

ご清聴ありがとうございました。