このような水上村でどのような一生を送るのかを紹介していきます。
水上村でも赤ちゃんが生まれます。
ただ、日本のように病院で産むのではなく、自宅で産むことがほとんどです。
その時は経験豊かなおばちゃん達が手伝ってくれます。
とはいってもおばちゃん達はお医者さんでも看護師さんでもないので、とても危険な環境で産まなければならないのです。
水上村の子どもはまず泳ぐことを覚えます。
家の前は陸ではなく湖なので泳ぐことができなければとても危険なのです。
その次には船を漕ぐことを覚えます。
家からすぐ目の前の家に行くにも舟を漕がなくてはいけません。
僕たちが自転車に乗るような感覚で、もひとつ言うと道を走り回るような感覚で舟を漕ぐようになります。
子どもたちはこのような舟を使うこともあります。
これは漁で使う網に発泡スチロールを詰めたものです。
子どもたちが普通の舟をもつことは金銭的に難しいのでゴミを再利用した舟です。
僕はこれを心の汚れた大人は乗れない「手漕ぎ筋斗雲」と呼んでいました。
水上村の子どもたちもはしゃぎまわって遊ぶことは大好きです。
これは僕の前任者が作った水上公園です。
ふだん家では走り回ることはできないので、水上公園ではみんな大はしゃぎです。
僕もクタクタになるまで汗まみれになりながら子どもたちと遊んだのはいい思い出です。
青年になるとみんなで集まってお酒を楽しむようになります。
こういうのは日本の青年とかわらないな~と思いました。
水上村の青年には日本の青年にはないたくましさを感じます。
このようにモリで魚を獲ることだってします。
マンガみたいなことしてるな~と思うことはよくありました。
男性陣は漁に出るようになります。
雨季の忙しい時期は夜中に沖の方に移動して漁をします。
女性陣は獲ってきた魚を網からはずして陸に持っていけるように加工したり網の修理をしたりします。
漁が忙しい時期は家族総出で作業をします。
こんな小さな女の子もお手伝いをします。
日本では親の仕事の手伝いをすることはあまりありませんが、水上村では小さな子どもも手伝います。
水上村では20代で結婚するのが一般的です。
彼らは教会で結婚式を挙げたので日本の教会で挙げるのと同じようにしました。
結婚すると子どもができて家族で生活するようになります。
ひとつの家でお父さんお母さん子どもが2~3人と家族が多かったように思います。
水上村で印象的だったことの一つに「おっちゃんたち笑顔」があります。
ひとつ前のお父さんもそうですが、水上村のおっちゃん達はとても素敵な笑顔で手を振ってくれます。
日本のおっちゃん達も笑顔で手が触れるような社会になればいいのになといつも思っていました。
水上村には映画館もUSJもないのでエンターテインメントはすごく限られています。
大人の人たちは賭けトランプが好きですね。
すごく熱戦してる時は冗談でも入れません。
「孫はかわいい」のは日本でも水上村でも同じようです。
水上村でもいつか人は亡くなります。
白い服を着ている方が喪主でハチマキをしているのが親族です。
こちらは仏教の家庭だったのでお坊さんがお葬式をしました。
最初の方で「水上村には生きるために必要なものは何でもありますがひとつだけないものがあります」と言ったのを覚えていますか?
その答えがこれです。
お墓です。
水上村の人たちは亡くなると陸で土葬されます。
水葬のようなことをすることはなく、亡くなると陸を通じて天国に行くのです。
以上が水上村での一生になります。
水上村は独特だと思うこともあれば、日本とかわらないなと思うこともありました。